常陸佐竹氏と金砂城の戦い(鎌倉殿の13人より) ~前編〜
遂に、茨城県民1000万人が待ち望んだ、佐竹氏の大河ドラマ登場(鎌倉殿の13人10話予定)です!!!
過去の大河は知らないので憶測ですが、佐竹氏が出たのは直近では初めてではないでしょうか\(^o^)/
しかも演じるのは大御所声優として名を馳せ、俳優としても活躍の平田広明さん!
ワンピースのサンジ、最遊記の沙悟浄、宇宙兄弟の六太(むっちゃん)、ジャック・スパロウの吹替といったら誰もが一度は聞いた声だと思います!!
日曜あとても楽しみです。
そんな佐竹氏ですが、平安後期~現代まで続いて名族、かつ不遇な時期も長く、、、、これについて調べて記していこうと思います。
1.佐竹氏の出自
佐竹氏は清和源氏、新羅三郎義光流の名門です。義光は八幡太郎義家の弟であり、源義朝・頼朝などにもかなり近い血筋となります。尚、甲斐源氏である武田氏は同じく義光を祖とし、足利・新田氏は義家の次男の義国を祖としています。
義光は後三年の役に義家と共に参陣し武功を上げ、その後常陸平氏の妻を娶り、常陸国に勢力を広げます。一方、源氏のお家芸身内争いの例に漏れず、上野・下野に進出してきた甥の義国と激しく争います。
義光の孫の昌義は奥常陸7郡(今の北茨城市、高萩氏、日立市、常陸太田市、常陸大宮市、那珂市、ひたちなか市辺り)の支配を強め、更には奥州藤原氏と婚姻関係を結ぶなどして勢力を強めます。昌義は現常陸太田市の佐竹寺において、一節の竹を見つけたことを縁起が良いと悦び、佐竹氏を名乗ったと言われます。
2.佐竹氏と源氏・関東豪族との関係
更に常陸南部へ勢力を広げようとする佐竹氏ですが、それにより房総の豪族千葉氏、上総氏などとの関係が悪化していきます。特に伊勢神宮に寄進された荘園、相馬御厨(現在の千葉県柏市、我孫子市、茨城県守谷市、取手市あたり)の支配をめぐり激しく争うこととなります。相馬御厨の領有には源義朝も介入してきて、関係が悪化し、佐竹氏は平家に接近することとなります。保元・平治の乱においても佐竹隆義、その子義政・秀義などは平家方につき、平家政権下でも北関東最大の豪族として君臨します。
相馬御厨の支配権も手に入れますが、南側の千葉氏・上総氏との緊張関係は続きます。
この二勢力と争うのはかなり覚悟が要りますねww
前置きだけで終わってしまいましたが(笑)、次回は金砂城の戦いについて述べます。