徒然なるままに ~歴史作品の感想他~

歴史作品の感想とか色々

常陸佐竹氏と金砂城の戦い(鎌倉殿の13人より) ~中編〜

いよいよ、来週の鎌倉殿の13人で触れられる金砂城(かなさじょう)の戦いについて説明します!

 

3.佐竹義政の誅殺

前回の鎌倉殿のでも放映された通り、頼朝および東国武士勢は富士川の戦い(1180年10月)に勝利しますが、頼朝の望む平家討伐には向かわず、領国に戻ることとなります。事情としては領国を留守にしている間に反乱勢力がまた動き始めているといったこともありました。特に上総広常・千葉常胤は平家よりである常陸の佐竹氏の動きを警戒、、この期に頼朝に討つように進言します。一方頼朝にとっても同じ源氏一族として東国に居ながら平家方についている佐竹氏は目障り(危険)な存在であり、討つ理由はありました。

上総・千葉、頼朝のどちらが佐竹征伐に積極的だったかは諸説ありますが、10月末には軍勢を常陸に向かわしておりました。佐竹家当主隆義は京に在番中であり、長男(隆義の兄だった説もあり)の義政(次回平田さんが演じる)は上総広常を通して頼朝への帰服を申し出ます。義政は広常との面会に臨みますが、、、そこで頼朝の命を受けた広常は義政を誅殺!東国武士らしく酷い話ですwww

 

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4.金砂城の戦い

一方、義政の弟の秀義はこのとき金砂城を守っており、ここに籠城し抗戦することを決めます。金砂城は現在の常陸太田市、その中でも北西にあり、久慈川八溝山地の麓の天然の要害です。しかしながら、上総広常は秀義の叔父の義季を内通させ、城の案内をさせて攻め落とします。

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その後、義季は御家人に列せられますが、一族に疎まれ蟄居させられます。秀義は一度は追放されるものの、1189年の奥州合戦には頼朝軍の一員に列せられており、そのころには服属し、領地が与えられていたことが分かります。治承・寿永の乱の間、佐竹氏は服属したとも反抗を続けていたとも諸説あります。

 

今回は短いですが、後編はその後の佐竹氏について説明しようと思います。