徒然なるままに ~歴史作品の感想他~

歴史作品の感想とか色々

アニメ平家物語 第7話「清盛、死す」感想 

さぁ、アニメ平家物語は平家がどんどん傾いていき、視るのも辛くなってきました。

 

都は頼朝をはじめとする源氏の挙兵による社会不安から半年で福原から京に戻りました。清経と敦盛が興じているのは毬杖(ぎっちょう)という球技。ゴルフというよりゲートボールですね(笑)それにしてもナイスショット!

奈良、興福寺の僧の間でも流行っていて清盛入道の頭に例えて打ってるなど不謹慎ですが、それだけ平家憎しやっちゃえ、の風潮が流行っているということでしょう。。

 

 

その興福寺に対して、清盛は丸腰で交渉に行けと命ずるも、僧供は使者達の首を刎ね、60人の首を晒す対応を、、、流石の鹿も呆れています(笑)

 

 

清盛は重衡を総大将として討伐を命じますが、以仁王の乱の際に園城寺不本意に焼き討ちしてしまった重衡は浮かない顔です。。トラウマになっているようで。。。

 

 

日のあるうちに終わると思っていた戦いは長引き、夜へ。闇討ちをされたら危険と重衡は『民家を燃やし』灯りをつけろと、、、え??灯りのために民家燃やすの!!?

 

現代の考えではトンデモですが、この時代の夜の戦陣の灯りに民家を燃やすのは一般的だったようですね。義経平家物語(原典)の中で灯りの為に民家を燃やしているようで、、、

しかし、冬の強風(この日12月28日)で火は南都の寺に燃え移り、興福寺東大寺まで焼き尽くします。大仏伝も焼け、大仏も頭と手が溶け、無残な状態になってしまったと言われます。そして、この一連の火災による僧・民衆も含め死者は3千人以上と言われます。

 

 

これを愉快という清盛!このあたりの描き方、創作作品により異なりますね。大河ドラマ平清盛」(2012)では重衡を褒めつつ、その業を噛みしめておりました。

 

そして、その所業は子孫達にも伝わり、、、、その中で資盛の「何と言おうと、焼けた南都は戻らない」という発言、かれは大変冷静で現実主義者なんですね。好感度上がりました!

 

 

重衡はその後、笛を吹くことも断り、念仏を唱える毎日、、やらかしてしまったとはいえ気の毒です。。。

 

 

そして、ここで来る高倉上皇危篤の報せと、清盛・時子に呼ばれる徳子。。。

 

母時子より、上皇崩御後の後白河院後宮に入ることを勧められる。

尚、後宮とは女御(天皇上皇の妾たち)の控える場所で、これは実質後白河院の妾となること意味します!この時徳子26歳、夫の高倉上皇は20歳で危篤、、、対する義父後白河院は49歳!!

これは酷い!!現代の倫理観では完全クソ喰らえですが、実際この時代でもあり得ない話だったようです。それだけ平家の力が衰え、後白河院のご機嫌伺い(徳子は賢く美しく、後白河院にも見初められていた)が必要な状況とはいえ、、、

 

徳子殿言ってくれました「いえ。。私をまだ父上の野心の道具になさりますか?」

 

無理にでもと言うなら出家して尼になると小刀を取り出す覚悟!

とてもカッコよいです!!!早見沙織さんの声がとても映えますね!!

 

亡者が見える眼を重盛より引き継いだびわ

その眼で徳子と安徳天皇見ると、二人を抱く高倉上皇が、、、このシーンは泣きそうでした( ;∀;)

 

 

さて、木曽義仲の挙兵も清盛の下に届き、、、、ん?義仲随分ワイルドですねwww

平家物語(原典)では見た目麗しきと書かれていたはずですがww

 

 

そして、清盛は熱病に。。。近づく者まで暑く、水をかけると蒸発。。。

(尚、人間は体温が42℃を超すと蛋白質が凝固して即死なので、これはあり得ないのですけどねww)

 

 

時子の夢に現れる、地獄の業火に焼かれた車と地獄の門番で有名な牛頭と馬頭。閻魔様の命により炎に焼かれた車に乗り無間地獄へのお迎えと、、、

 

いよいよ熱病が激しくなった清盛は妻時子の手を握り墓前に頼朝の首を備えることを遺言に果てます。(宗盛で遺言を聞くパターンも多いんですけどね、、、)

 

 

そして、残された子・孫達、、

 

維盛は取り乱してびわに平家の未来を視ることを懇願し、資盛はびわにその眼の力が前より気味が悪かった、出ていけと言い放ちます。

資盛のその心は滅びゆく平家に運命に巻き込みがたくない為、、、その気持ちが切ないです。。。

 

そして、冬のうちに猫を連れて出ていくびわ。。

物語は更なる悲劇へと連なっていきます。。