徒然なるままに ~歴史作品の感想他~

歴史作品の感想とか色々

古河公方足利成氏について 第1回 総論

不定期ですが、歴史ネタについても記述していこうと思います。

過去ツイキャス用に纏めたネタがあるので、暫くはその消化になるますが(笑)

 

さて、Twitterアカウントで僭越ながら足利成氏(あしかがしげうじ)を名乗ってますが、それに見合うだけの魅力がこの方にはあります。

 

・強い、優秀(歴代足利家を見ても)

・苦労人、それが報われてる

・教科書に一瞬出るくらいにはメジャー

・ネタが多い(誅殺・元号・敵がヘタレ)

 

これでいてあまり知られていない(競合・ツッコミが少ないw)というのも垢としてオンリーワンナンバーワンになれるポイントですね(笑)

 

実際高校の教科書(日本史B)でも記述があるかないかのマイナーさです。

というのも関東の戦国は北条早雲(伊勢宗瑞)が起点とだいたいの参考書には書かれており、そこから遡って少し記述されるだけのパターンが多いので。

実際は応仁の乱より早くに活躍しているのですがww

 

さて、そんな成氏ですが、マトモな肖像画もありません。

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唯一広く知られているのは江戸後期に滝沢馬琴が著した「南総里見八犬伝」での実在人物をもじった滸我公方、足利成氏(あしかがなりうじ)を挿絵です。浮世絵風に描かれているので結構二枚目ですね(^_^

あとドラマや舞台でもあまり取り上げられてはいなく唯一はオリジナルDVDの里見八犬伝(2006年滝沢秀明主演)で京本政樹さんが演じています。非常にカッコイイですね!

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あとご当地キャラではこがにゃんこのあしかがにゃり氏(但し、古河市知名度では江戸後期の古河藩家老鷹見泉石、古河藩主土井利位の後塵を拝す)や

 

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古河市出身のアニメーター浅野恭司氏デザインの万寿王丸(11歳位のイメージ)があります。

 

知名度はともかく、扱いとしては悪くないですよね。

 

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あと戦国シュミレーションゲームで有名な信長の野望では、生きた時代が信長たちの時代より100年ほど前なので、登場することは殆どないのですが、唯一蒼天録(2002年 windows XPPS2等) の1495年シナリオ(北条早雲台頭)に登場します。能力的

には相当優秀です!年齢的に長く居られないのですが。。。

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尚、同作品には2代目以降の古河公方も出てきますが、初代成氏以外能力値はパッとしません。。その後の信長の野望にも4代足利晴氏や5代足利義氏はよく出てきますが、能力値は冴えないです、、、

 

さて、そもそも足利成氏ってどのような血のつながり、家系なのかというと

室町将軍、足利尊氏の四男基氏から続いた関東を統括する鎌倉公方の5代目です。将軍家と並ぶ血筋なわけですね。

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この鎌倉公方という役職、そこから世襲となり、京にいる将軍に対し、武家の都鎌倉に在して東国を治める役割を負うわけですが、、、2代目以降独立心を高め、何かと今日の将軍家に反抗するようになります。それが、顕在化したのが4代鎌倉公方足利持氏と6代将軍足利義教の対立で、持氏の代で一度滅ぼされることとなります(詳しくは後程永享の乱結城合戦にて説明します)。

一度滅びた鎌倉公方ですが、持氏の子である(兄たちは殺されたが成氏は生き延びた)成氏の代に再興します。。しかし、成氏は幕府に抵抗、討伐軍に鎌倉は占領されますが、下総古河に籠り、幕府に抵抗を続けます。こうして鎌倉公方古河公方と称されるようになり、以後5代続きます。

 

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ここで成氏の前半生・戦歴です。

勝った戦と敗けた戦に白黒つけると圧倒的に勝ち戦が目立つ猛将です!

 

生年は1434年と1438年の2説があります。そして産まれて間もなく(特に1438年生年説)、父持地が幕府に抵抗して破れ切腹し、幼くして逃亡生活の身となります。

その2年後には鎌倉公方寄りの有力武将、結城氏朝が持氏の子春王・安王を擁して幕府に対して挙兵(結城合戦)。しかし、これも1年ほどで落城し、春王・安王も斬首されます。成氏はより幼い身でしたが、信濃に逃亡したとも、捕らえられて京で保護されたともいわれます。

一度は滅びた鎌倉公方ですが、幕府内部でも鎌倉公方再興の声があがり、1449年に若き、鎌倉公方に就任します。然しながら、鎌倉公方不在の中力をつけていた関東管領上杉氏やその家宰である長尾氏・太田氏などは鎌倉公方が戻ってきたことををよく思わず1450年には成氏を急襲します(江の島合戦)。この戦いは成氏が勝ち、その狼藉を幕府に訴えますが、鎌倉公方反対派もいる幕府は長尾・太田の処分を曖昧にします。更に1452年には応仁の乱で有名な細川勝元(反鎌倉公方派)が管領となり、幕府への書状に関東管領(上杉氏)の副状を求めます。敵対する上杉の副状必須となると、上杉に都合の悪い訴えは握りつぶされる。。そう思い焦った成氏は1454年12月27日、関東管領上杉憲忠を自らの邸宅に呼び寄せ誅殺。同時に上杉本国の上野を叩くべき出陣し、28年におよぶ享徳の乱が始まります。成氏の勢いはすさまじく、緒戦は連戦連勝で北関東に迫ります。然しながら、鎌倉を留守中に今川氏に鎌倉を奪われ、帰れなくなります。

その為、成氏は御料地があり、水運の要衝である下総古河に御所を移し、古河公方と名乗るようになります。ここから古河で幕府・上杉家に対する頑強なる抵抗を続けます。その後も合戦では優勢で上杉氏の重鎮を度々戦死させます。

 

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成氏の負け戦で知られているのは1471年の伊豆遠征の失敗とその後の古河失陥ですが、古河御所も翌年には奪還しております。

 

そんな感じでかなりの強者、足利成氏

今回は全体的に触れ見ましたが、次回以降、その生涯をより詳細に辿っていきたいと思います。